*パソコンでは自動的に演奏が始まります。スマートフォン等で演奏が始まらない場合は、プレイヤー左端の三角をタップしてください。(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 あわれゆかしき 歌の調べ |
《蛇足》 ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo) が書いた詩に、シャルル・フランソワ・グノー(Charles François Gounod)が曲をつけたもの。出版は1857年。
原題は『セレナーデ』ですが、わが国では近藤朔風の日本語詞『夜の調べ』として愛唱されてきました。
セレナーデという曲形式については『シューベルトのセレナーデ』の蛇足に、少しばかり書いてあります。
グノーは、ゲーテの『ファウスト』第1部に基づく同名のオペラのほか、多くのオペラ、交響曲、劇音楽等を書いた大作曲家ですが、歌の分野でユゴーが出てくるのは珍しいので、彼に関わることで思い出したことを書いておきます。
ユゴーといえばまず『レ・ミゼラブル』ですが、私が最初に全訳を読んだのは高校2年のときで、訳者は豊島与志雄でした。ひどい直訳調で読むのに苦労しましたが、現在は同氏自身による改訳版が岩波文庫に入っており、青空文庫にも収録されています。これは名訳です。
『レ・ミゼラブル』には個性的な人物が何人も登場しますが、初読時にとりわけ強い印象を受けたのがガヴローシュです。
ガヴローシュは悪党テナルディエの長男ですが、両親から愛されないどころか、養育放棄されたため、幼いときから街頭で暮らすようになりました。今でいうストリート・チルドレン、浮浪少年ですね。
冬、せっかく手に入れたショールを街角で凍えていた浮浪少女に与えたり、自分も何日も食べていないのに、養母が逮捕されて道で途方に暮れていた7歳と5歳の兄弟に、なけなしの1スーでパンを買い与えたりします。
このガヴローシュがねぐらにしていたのが、バスティーユ広場の南東の隅にあった象型の巨大建造物です。木と漆喰で造られた高さ12メートルほどの建造物で、長年放置されていたため、崩壊寸前でした。
いちおう公共の建物のため、塀で囲まれ、立ち入り禁止になっていましたが、ガブローシュは秘密の出入り口を見つけ、象の足からよじ登って、腹の部分で寝泊まりしていました。
彼は前述の兄弟をそこに泊め、浮浪少年としての生き方を教えます。ガヴローシュは知りませんでしたが、実はその兄弟は赤ん坊のとき、テナルディエ夫婦によって売り飛ばされた自分の弟たちだったのです。
この象ですが、初読時、私はユゴーの想像の産物に違いないと思っていました。後年、フランス近代史を読んで、この象が実在したことを知り、感動しました。バスティーユ広場にいったとき、7月革命記念塔の下から広場の南東を見て、あそこにあの象があったのかと感じ入ったものでした。
それでは、象は何のために建造されたのでしょうか。
アウステルリッツの戦い(1805年12月2日)に大勝した翌年、ナポレオンはその記念にエトワール広場(現在はシャルル・ド・ゴール広場)に凱旋門を建造するように命じます。彼が希望したのは、象の形をした凱旋門でした
彼は、戦象部隊を引き連れ、アルプス越えをしてイタリア半島に進攻したカルタゴの将軍ハンニバルを尊敬していました。ハンニバルと同じようにアルプスを越えてイタリアを征服した自分を重ね合わせたところから、この形を思いついたようです。
命じられた建築家は、そのような形の凱旋門ができるかどうか悩んだ末、木と漆喰で模型を造り、確かめることにしました。これが前述の象です。
しかし、象型の凱旋門は問題が多すぎるとわかり、廃案になりました。今の形での建設が始まったのは1806年でしたが、完成しないうちにナポレオンは失脚し、亡くなってしまいます。
完成したのは王政復古時代の1836年で、ナポレオンがこの門をくぐったのは、セントヘレナ島からパリのアンヴァリッドに改葬されたときでした。
なお、わが国では凱旋門といえばエトワール凱旋門を指す固有名詞になっていますが、本来は普通名詞です。凱旋門は古来世界各地で建てられており、パリ市内だけでも、カルーゼル門、サン・ドニ門、サン・マルタン門などいくつもあります。
もちろんエトワール凱旋門が最大であり、地下に無名戦士の墓があって、常に衛兵が建っているなど、特別扱いを受けていますが。
ガヴローシュに話を戻すと、1832年6月、パリの民衆が暴動を起こしたとき、彼は革命側に立って戦い、2発の銃弾を受けて亡くなります。まだ12歳でした。
ユゴーは、このガヴローシュのイメージを、ドラクロアが1830年の7月革命をテーマとして描いた『民衆を導く自由の女神』から得たとされています。旗をかざして先頭を進む自由の女神の向かって右側の少年戦士が、その発想源のようです。
ガヴローシュは小説発表以来、多くのフランス人に愛され、その名はgavrocheとして、勇敢で侠気のある少年を指す普通名詞になっています。もっとも、今ではただの浮浪少年を指すことが多いようです。
『夜の調べ』とは関係のない話ばかりですが、マリユスとコゼットの恋心を歌ったものとでも想像してください。
(二木紘三)