(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 流れ流れて さすらう旅は |
《蛇足》昭和52年(1977)に日本コロムビアから発売。冠二郎の初の、かつ最大のヒットとなりました。
作詞の立原岬は五木寛之の別名。昭和52年4月7日から同年9月29日まで25回にわたってテレビ放映された朝日系列のドラマ『海峡物語』の主題歌に使われました。冠二郎も出演しています。
原作は五木寛之の同名小説で、『艶歌』の続編。両作とも、伝説の音楽プロデューサー・馬淵玄三が主人公。馬淵玄三については、『北帰行』の蛇足で少し触れています。
『旅の終りに』の最初の2行は、戦前に東海林太郎が歌った『流浪の旅』(作詞・作曲:宮島郁芳、後藤紫雲)の歌い出し「流れ流れて落ち行く先は/北はシベリヤ南はジャワよ」に似ています。パクりだという人もいますが、この程度の類似はよくあることで、本歌取のようなものだといっていいでしょう。
この歌は旅をテーマとしていますが、旅には陽の旅と陰(いん)の旅、もしくは正(プラス)の旅と負(マイナス)の旅があると思います。前者は目的または目的地がはっきりしていて、多くの場合事前に予定を立てて行われるもので、通常は旅行と呼ばれます。
いっぽう、後者は、その時どきの気持ちや都合で当ても期限もなくさまようもので、漂泊、流浪、放浪、彷徨、流れ歩き、さすらいといったことばで表現されます。
江戸時代の旅人いえば、まず浮かぶのが松尾芭蕉。『奥の細道』の冒頭に、「予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ……」とあります。
漂泊についての当時の語義や、人びとの語感がどうだったかわからないので、断定はできませんが、私の語感では芭蕉の旅は漂泊とは違うような気がします。
芭蕉は、ここではこれを見たいと思ったものを見ているし、経路もほぼ予定どおり。宿泊先も、宿屋、俳諧仲間や門人の家です。おまけに、身の回りの世話をする門人も同行しています。
『奥の細道』の前に東海道を歩いた『野ざらし紀行』もそうですが、漂泊というより長期の吟行あるいは旅行といったほうが当たっていそうです。
旅行以外の言葉を使うとしたら、回歴、回遊、遊歴、経巡りでしょうか。
私が青春期に心惹かれたのは、陰の旅、負の旅のほうです。大衆演劇に例をとると、赤城山に追い詰められた国定忠治が手下にいうセリフの「当ても果てしもない旅」ですね。これが本来の漂泊、流浪、放浪、彷徨、流れ歩き、さすらいだと思います。
種田山頭火や尾崎放哉の後半生は、これに近いといっていいでしょう。
有り余る資金があって、足の向くまま、気の向くまま各地を経巡る、という人もたまにいますが、これは形は漂泊や放浪に似ていても、予定を定めない遊歴、回遊でしょうね。
陰の旅、負の旅には、うらぶれ感、落魄感が伴っていなくてはなりません。こうした暗鬱な情感は、旅が失望や、それより強い絶望から始まることにより生じます。
そして、失望や絶望の原因は、多くの場合、失行や自堕落、家庭や仕事の行き詰まりなどによる居場所の喪失ですが、青春期で最も多いのは失恋でしょう。
厭世感ないし哲学的懊悩から漂泊の旅に出るといった例もありますが、青春期におけるこうした悩みは、たいてい陰に失恋が隠されています。
それでは、私はなぜ陰の旅、負の旅に惹かれたか。それは、たとえば肌を刺すような寒風の吹く道や、冷たい氷雨の降る道を長時間歩いているようなときに生じる「うらぶれ感、落魄感に似た感覚」が、私の中に一種の快さを呼び覚ましたからです。
学生時代、自分の愚かさやだらしなさから世の中が嫌になったことがありましたが、実際に漂泊の旅に出ることはありませんでした。
手持ちの金に加えてわずかばかりの持ち物を売り払ったら、仙台か盛岡あたりまでいけるが、その先はどうするか――こうした計算を始めた段階で、自分が「当ても果てしもない旅」に向いていないとわかりました。
いろいろ嫌になっても、実家に帰って満面の笑みで迎えてくれる父母を見れば、薄っぺらな厭世感は雲散霧消しました。
漂泊や放浪は、私の場合、ついに観念的な憧れに終わったのでした。
(二木紘三)





