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Channel: 二木紘三のうた物語
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おさななじみ

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(C) Arranged by FUTATSUGI K.
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iPad、iPhone用。右向き三角印をタップすると演奏が始まります。
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作詞:永 六輔、作曲:中村八大、唄:デューク・エイセス

1 幼なじみの思い出は
  青いレモンの味がする
  閉じるまぶたのその裏に
  幼い姿の君と僕

2 お手々つないで幼稚園
  積み木・ブランコ・紙芝居
  胸にさがったハンカチの
  君の名前が読めたっけ

3 小学校の運動会
  君は一等 僕はビリ
  泣きたい気持ちでゴールイン
  そのまま家まで駆けたっけ

4 ニキビの中に顔がある
  毎朝鏡とにらめっこ
  セーラー服がよく似合う
  君が他人に見えたっけ

5 出すあてなしのラブレター
  書いて何度も読み返し
  あなたのイニシャル何となく
  書いて破いて捨てたっけ

6 学校出てから久しぶり
  バッタリ会ったら二人とも
  アベック同士のすれ違い
  眠れなかった夜だっけ

7 あくる日あなたに電話して
  食事をしたいと言ったとき
  急に感じた胸騒ぎ
  心の霧が晴れたっけ

8 その日のうちのプロポーズ
  その夜のうちの口づけは
  幼なじみの幸せに
  香るレモンの味だっけ

9 あれから二年目僕たちは
  若い陽気なパパとママ
  それから四年目幼な子は
  お手々つないで幼稚園

10 幼なじみの思い出は
  青いレモンの味がする
  愛のしるしのいとし子は
  遠い昔の君と僕

《蛇足》 永六輔・中村八大の「六八コンビ」による名作の1つで、昭和38年(1963)発表。幼馴染み同士の結婚式で、友人たちがこの歌を歌う光景がよく見られました。

 私が小学校に入って最初に仲良しになった女の子は、Yちゃんという子でした。おかあさんはお医者さんで、とてもきれいな人だったという記憶があります。

 私の家には、かなり大きい別棟の蚕室がありました。父の独身時代、農閑期には村の若者たちが集まって剣道の練習をしたといいます。私が一年生になったころには、そこではもう養蚕を行っておらず、物置になっていました。

 祖父が若いころ、いわゆる"発明おじさん"だったため、そこには珍奇な発明品がいくつも並んでおり、そのほかリンゴ消毒用の水槽とか大量の木箱、古い機織機など、子供心をくすぐるものがいくつもありました。
 また、父が梁から太い綱をつるしてくれたため、ターザンごっこもできました。雨で外で遊べないときは、近所の子どもたちが集まって、さまざまな"ごっこ遊び"をしたものです。

 秋のある日のことです。Yちゃんにその話をしたら、おもしろそうと目を輝かせたので、「じゃあ、今日、学校終わったら、遊びに来ない?」と誘いました。「うん、行く」とYちゃんは嬉しそうにいいました。

 放課後、Yちゃんは「家にランドセルを置いてから行くね」というので、私も彼女の家までついて行きました。彼女の家は学校から1キロほど東側の、駅の近くにあり、私の家は正反対の西側にありました。

 Yちゃんの家に着くと、「ここで待ってて」というので、門の前で待っていました。ランドセルを置いてすぐ出てくると思ったら、なかなか出てきません。2、30分もしたころ、彼女がやっと出てきたので、「遅かったじゃないの」ととがめるようにいうと、彼女はケロッとした顔で「うん、おやつを食べていたの」といいました。おいおい。

 ともかく出かけられるようになったので、私の家に向かいました。学校を通り過ぎて6、700メートルほど歩き、川のほとりまでくると、秋のことですから、西の空が赤く染まり始め、冷たい風まで吹き始めました。夕暮れは、ただでさえ子どもには寂しい時間帯です。

 Yちゃんは急に足を止め、「私、帰る」といいました。そこから私の家まで、さらに1キロ以上歩かなくてはなりません。家に着くころには薄暗くなって、遊ぶどころではありません。
 私にもそれはわかったので、止めませんでした。Yちゃんは、自分の影を追いかけるように、家に向かって駆けていきました。

 かくして、私の生まれて初めてのデートは不発に終わったのでした。

 たぶん3年生のころだったと思います。その頃には、男の子たちと女の子たちとはあまり口をきかなくなっていましたが、Yちゃんが私のそばに来て、「あのね、うちのおかあさん、おっぱい取っちゃったの。ほかの人には言わないでね」といいました。
 私が「エッ、どうして?」と聞くと、Yちゃんは「病気でしょうがなかったんだって」といいました。

 私にはよくわからなかったし、Yちゃんも十分には理解していなかったと思います。しかし、幼な心にただごとでないとは感じていたようで、誰かに話すことでその不安感を弱めたかったのでしょう。

 その後の話は聞いていないので、彼女のおかあさんが治ったかどうかはわかりません。Yちゃんのことを思い出すたびに、あのおかあさんはその後どうなったんだろうと考えます。

 Yちゃんとは中学では別のクラスになり、高校も別になりました。ときどき駅で出会いましたが、なにか照れくさくて、言葉をかけられず、知らんぷりしていました。
 もっとも、それはYちゃんに対してだけでなく、小学校で同じクラスだった女の子たちとは、恥ずかしくて挨拶もできませんでした。ほかの女子高校生たちとは、平気で口をきいていたのに。

 この歌では、幼馴染みと結ばれる筋書きになっています。それはそれで幸福だと思いますが、幼馴染みは幼馴染みのままでいること、女の子だけでなく、男の子についても、記憶のなかだけの存在にしておくという幸せもあるかと思います。
 何かの拍子に小学校の同級生を思い出すと、セピア色になった集合写真を見るように、あのことやらこのことやらが浮かび上がってきます。

 小学校時代のつきあいだけで時間の止まった幼馴染み――これほど純粋無垢な人間関係があるでしょうか。古い表現でいうと、「忘れられようか筒井筒」(『湯島の白梅』)といったところです。

(二木紘三)


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