(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
風に震えるオレンジ色の |
《蛇足》フォークグループ・シグナルのデビュー曲で、昭和50年(1975)9月21日にポリドールから発売され、約30万枚売り上げました。
シグナルは田村イサ夫・浅見昭男・住出勝則の3人がオリジナル・メンバーでしたが、のちに田村イサ夫が抜けるなど、メンバーの入れ替わりがありました。イサ夫のイサ(オ)はにんべんに功ですが、小さい漢和辞典には載っていません。
この歌詞ですが、私は最初、リストカットまでした苦しい失恋を初対面の人に告白するものだろうかと疑問に感じました。しかし、作詞者が一般的な「出会い」ではなく、「めぐり逢い」という言葉を使っていることにすぐ気がつきました。
「巡り会う」は、「めぐりめぐって出あう。別れ別れになっていた相手や、長く求めていたものに出あう」ことです(『デジタル大辞泉』)。
人は、誰にもいえなかった苦しい過去を心を許した人に聞いてもらうことによって、いくぶんかでも傷みを癒やすことができます。この女性は、意識的か無意識的かはわかりませんが、そんな人を求めていたのでしょう。そして、秋の停車場でそんな人に出会ったのです。
とはいえ、初めて会った人が信頼できるかどうか見極めるのは困難です。したがって、その男性は初対面ではなく、以前知っていた人か何らかの交流があった人と見るのが妥当でしょう。
『20歳のめぐり逢い』とありますから、その人はそれ以前の知り合い、たとえば高校の同級生だったのではないでしょうか。
その頃、彼は彼女に心を寄せていたかもしれませんが、友人以上の関係にはならなかったのでしょう。もしかしたら、彼は、彼女が危ない恋にのめり込んでいるのを知っていて、ハラハラしながら見守っていたかもしれません。
そんな2人が、秋の停車場で偶然巡り会ったのです。そのとき、彼は彼女の手首の疵に気がついたのでしょうが、あえて訊きませんでした。その後交流が続いて、2人の間に信頼感が醸成されたときに、初めて彼は疵について尋ねました。
彼女は、堰を切ったように苦しかった過去を吐き出しました。そして、2人の間に恋が生まれたのです。
というようなことを想像していたとき、私はふと夏目漱石『三四郎』の1場面を思い出しました。
廣田先生、与次郎、美禰子、三四郎の4人が’Pity's akin to love.’をどう訳すのが適切かについて論議しています。なかなかいい案が出なかったとき、与次郎が「ここは俗謡調でいくべきだ」といって、「かわいそうだたほれたってことよ」はどうかと提案します。
すると、廣田先生は「いかん、いかん、下劣の極だ」と叱ります。そこへ野々宮さんが入ってきて何の話かと尋ねます。美禰子の説明を聞いて、彼は「なるほどうまい訳だ」と感心します。
廣田先生は、与次郎の翻訳がだめだといったのではなく、伝法なべらんめえ調が気に入らなかったのでしょう。
余談ですが、与次郎は鈴木三重吉、野々宮さんは寺田寅彦、三四郎は小宮豊隆、美禰子は平塚らいてう(雷鳥)がモデルだとされています。
それはさておき、『20歳のめぐり逢い』は、「かわいそうだはほれたってことよ」の1つの例だと思います。これはpityを感じたほうについての表現ですが、心を許して告白したほうについては、「打ち明けるとはほれたってことよ」といえるでしょう。
『20歳のめぐり逢い』もあれば、『22才の別れ』もあります。この年頃には、いくつも恋が生まれ、消えていきます。恋に破れていくら苦しくても、自傷行為はいけません。リストカットしても、その疵は苦しみの記録として残るだけです。
苦しみに耐えていけば、数十年後には芳醇な恋の思い出に変わっているはずです。破恋でも、というより破恋だからこそ、恋をしなかった場合より財産を1つ多く得たことになるのです。
『生き続けていけ、今にきっとわかるだろう』(ゲーテ)
これは、私が高校時代に、早世した友人から教えられた言葉です。
(二木紘三)