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Channel: 二木紘三のうた物語
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アキラのダンチョネ節

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(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西沢 爽、作編曲:遠藤 実、唄:小林 旭

1 逢いはせなんだか 小島の鴎
  可愛あの娘(こ)の 泣き顔に
  いやだ やだやだ 別れちゃやだと
  いまも聞こえるサ この胸に
  ダンチョネ

2 赤い椿が ほろりと散った
  旅のお方の 恋しさに
  沖の瀬の瀬で どんと打つ波は
  なぜに出船をサ 押し戻す
  ダンチョネ

3 別れ風だよ やませの風だ
  俺をうらむな 風うらめ
  忘れまいぞと あとふりむいて
  ダンチョうたえばサ また涙
  ダンチョネ

《蛇足》昭和35年(1960)2月28日封切の日活映画『海から来た流れ者』の主題歌。翌月1日にレコードが発売されました。

 この頃の日活の売り物だった「渡り鳥シリーズ」では、小林旭の役名は滝伸次ですが、この作品では野村浩次になっています。ほかにも、『海を渡る波止場の風』など、役名が野村浩次の作品がいくつかあります。

 私が日活の西部劇風無国籍映画に初めて触れたのは、『海から来た流れ者』でした。そのリアリティのなさにあきれる一方で、魅せられもしました(写真は舞台となった伊豆大島の波浮港)
 見たのは高校2年の3月初め。同級生たちは、みな受験準備に入っていましたが、私は授業をサボっては映画を見たり、街中や高校近くの丘をほっつき歩いたりしていました。

 放埒きわまる、しかし楽しく痛快な高校生活でした。佐藤春夫が慶応の学生時代を謳った詩のなかに、「酒、歌、煙草、また女/外(ほか)に学びしこともなし」というヴァースがありますが、「女」以外はこれに近い状態でした。
 羽目を外しすぎて、高3のとき2回無期停学を受けました。本来なら退学になるところでしたが、かばってくださる先生が何人かいて、首がつながりました。
 この頃から、安定を嫌う気持ちや孤立癖といった、生きていくうえでは損な性格が顕著になり始めたようです。

 いわゆる受験勉強を始めたのが10月頃。それでも映画を見るのをやめず、日活映画のほか、東宝の「愚連隊シリーズ」、洋画では『顔のない眼』『許されざる者』『スパルタカス』などが記憶に残っています。
 『顔のない眼』は、怪奇映画とされていますが、私は、父親の狂った親心と顔を失った娘の悲しい運命に心を揺さぶられました。
 『アラモ」は、入試を終えたあと、新宿のミラノ座で見ました。歌舞伎町には、ブラザーズ・フォーの「A time to be reaping……」が流れていました。

 話が『ダンチョネ節』からずいぶん外れてしまいましたが、このサイトは、もともと私が自分の思い出を反芻するために作ったものなので、ご容赦を。

 『ダンチョネ節』は神奈川県・三浦半島の先端にある三崎(現在は三浦市の一部)から始まった民謡で、原曲は『三崎甚句』とされています。
 三崎甚句は、ハイヤ節を流れを汲むお座敷唄で、漁師などが酒席で歌ったことから広まったようです。

 ハイヤ節は、九州の西海岸一帯で江戸時代から歌われていた民謡で、熊本県天草市の『牛深ハイヤ節』が代表的。天然の良港である牛深は、海運の中継地で、漁船も含め、諸国の帆船が出入りしていました。
 それらの船が三崎までハイヤ節を伝え、やがて三崎甚句が生まれたとされています。

 甚句は7・7・7・5で1コーラスを構成する歌謡形式で、たとえば『三崎甚句』で最も有名な歌詞は、「エー 三浦三崎に アイヨーエ どんと打つ波は 可愛いお方の 度胸さだめ エーソーダヨーエ」となっています。

 『ダンチョネ節』にも同じ歌詞がありますが、「度胸さだめ」が「度胸だめし」になっており、また、囃子詞は末尾に「ダンチョネ」をつけるだけです。
 ダンチョネの語源は、「断腸の思い」「漁師の掛け声」など諸説ありますが、確かなものはありません。

 哀調を帯びたメロディと印象的な囃子詞から、いくつもの替え歌が生まれました。それらのなかで、戦前から戦中にかけてよく歌われたのが、兵隊節としての『ダンチョネ節』です。兵隊節は軍歌とは違い、兵士たちが本音を吐いた歌です(『ズンドコ節』参照)

 以下、混乱を避けるために、民謡のダンチョネ節をMD、兵隊節のダンチョネ節をHDと表記します。
 HDは、歌い継がれるたびに歌詞が付け加えられたため、10数番までありますが、
1番は「沖の鴎と飛行機乗りは/どこで散るやらネ/果てるやら/ダンチョネ」となっています。
 『勇波節』というヴァリエーションもあります。これもMDのメロディに乗せた兵隊節ですが、ダンチョネという囃子詞はついていないようです。

 ウィキペデアその他のサイトに、HDは『特攻隊節』ともいう、といった記述がありますが、これはまちがいです。
 『特攻隊節』は、最初、朝鮮民謡の『白頭山節』
(作詞:植田国境子)のメロディで歌われていたものが次第に変化したもので、メロディはHDとは全然違います。

 西沢爽は、ダンチョネ節の元になった甚句の形式に従って、3聯とも7・7・7・5の形式で歌詞を構成しました。また、遠藤実は、後半のダンチョネ節に違和感なくつながるみごとなメロディを前半につけました。

 『海から来た流れ者』では、小林旭は元のダンチョネ節に近い静かなトーンで歌っていたと思いますが、その後の再吹き込みだか再々吹き込みでは、ハイテンポでリズミックなマンボ調で歌っています。時代に合わせたものでしょう。

 3番に出てくる「やませの風」は、おもに関東より北の地方で梅雨時から夏にかけて吹く、北東寄りの冷たい風。長期間吹くと、稲作に冷害をもたらします。

(二木紘三)


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