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Channel: 二木紘三のうた物語
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孝女白菊の歌

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(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:落合直文、作曲:不詳

           その一

Kou1_3

阿蘇の山里秋ふけて 眺さびしきゆふまぐれ
いづこの寺の鐘ならむ 諸行無常と告げわたる
をりしもひとり門(かど)にいで 父を待つなる少女(をとめ)あり
年は十四の春あさく 色香ふくめるそのさまは
梅かさくらかわかねども 末たのもしく見えにけり
父は先つ日遊獵(かり)にいで 今なほおとづれなしとかや

軒に落ちくる木の葉にも 筧(かけひ)の水のひゞきにも
父やかへるとうたがはれ 夜な夜な眠るひまもなし
わきて雨ふるさ夜中は 庭の芭蕉のおとしげく
なくなる虫のこゑごゑに いとゞあはれをそへにけり
かゝるさびしき夜半なれば ひとりおもひにたへざらむ
菅の小笠(をがさ)に杖とりて いでゆくさまぞあはれなる

Kou2

八重の山路をわけゆけば 雨はいよいよふりしきり
さらぬもしげき袖の露 あはれいくたびしぼるらむ
にはかに空の雲はれて 月のひかりはさしそへど
父をしたひてまよひゆく こゝろの闇にはかひぞなき
遠くかなたをながむれば ともし火ひとつぞほの見ゆる
いづこの里かわかねども それをしるべにたどりゆく

松杉あまたたちならび あやしき寺のそのうちに
讀經(どきやう)のこゑのきこゆるは いかなる人のおこなひか
(まがき)もなかばやれくづれ 庭には人のあともなく
月のかげのみさえさえて 梢(こづゑ)のあたり風ぞふく
門べにたちておとなへば かすかにいらふ聲すなり
待つまほどなく年わかき 山僧ひとりいでて來ぬ

Kou3

いかにあやしと思ひけむ しばし見てありこなたをば
少女はそれと知るよりも やがてまぢかくすゝみより
(われ)はあやしきものならず 父をたづねてきつるなり
ゆくへを君のしりまさば 敎へてよかしそのゆくへ
少女の姿をよく見れば にほへる花のかほばせに
やなぎの髮のみだれたる この世のものにもあらぬなり

山僧こゝろやとけぬらむ 少女をおくにさそひゆき
ぬしはいづこの誰なるか つばらにかたれ家も名も
をりしも風のふきすさび あたりのけしきものすごく
軒の梢にむさゝびの なくなる聲さへきこゆなり
少女はいよいよたへがたく おつる涙をかきはらひ
妾はもとは熊本の ある武士(ものゝふ)のむすめなり

Kou4

はじめは家も富みさかえ こゝろゆたかにありければ
月と花とに身をよせて たのしく世をばおくりにき
一とせいくさはじまりて 靑き千草も血にまみれ
ふきくる風はなまぐさく 砲のひゞきもたえまなし
親は子をよび子は親に わかれわかれてあちこちに
にげゆくさまはあはれとも うしともいはむ悲しとも

この時母ともろともに 阿蘇のおくまでのがれしが
ながめられけり朝夕に なれし故郷(ふるさと)その空を
人のことばに父上は 賊にくみしてましますと
きくよりいとゞ胸つぶれ 袖のひるまもあらざりき
あけくれ父を待つほどに はやくも秋の風たちて
雲井(くもゐ)の雁はかへれども 音づれだにもなかりけり

母はおもひに堪へかねて やまひの床につきしより
日毎日毎におもりゆき つひにはかなく世を去りぬ
父の生死もわかぬまに 母さへかへらずなりぬれば
夢にゆめみしこゝちして おもへば今なほ身にぞしむ
いかにつれなきわが身ぞと 思ひかこちてありつるに
神のたすけか去年(こぞ)の春 父は家にぞかへり來し

Kou5

母のうせぬときゝしより たゞになげきてありけるが
うき世のならひとなぐさめて この年月はすぐしたり
先つ日遊獵(かり)にといでしより 待てどくらせどかへらねば
またも心にたのみなく かゝる山路にたづねきぬ
妾の氏は本田にて 名は白菊とよびにけり
父は昭利(あきとし)母は竹 兄は昭英(あきひで)その兄は

おこなひあしく父上の いかりにふれて家出しぬ
風のあしたも雨の夜も しのばぬ時のなきものを
いづこの空にまよふらむ 今なほゆくへのわかぬなり
これをきくより山僧は にはかに顔のけしきかへ
ものをも言はず墨染の そでをしぼりて泣き居たり
とにもかくにもこの寺に 一夜あかせとすゝめてし

Kou6

この山僧のこゝろには ふかき思ひのあるならむ
少女はそれと知りたるか はた知らざるかわかざれど
さすがに否ともいなみかね その夜はそこにかりねせり
ぬる間ほどなく戸をあけて あやしく父ぞ入りきたる
まくらべ近くさしよりて 聲もあはれに涙ぐみ
われあやまりて谷におち 今は千尋(ちひろ)のそこにあり

谷は荊棘(いばら)のおひしげり いでてきぬべき道もなし
明日だに知らぬわが命 せめてはこの世のわかれにと
子を思ふてふ夜の鶴 泣く泣くこゝにたづねきぬ
ことばをはらぬそのさきに 裾ひきとめて父上と
呼ばむとすればあともなく 窓のともしびかげくらし
夢かうつゝかあらぬかと 思ひみだれてあるほどに
あかつき近くなりぬらむ 木魚のこゑもたゆむなり

Kou7

           その二

夜もやうやうにあけはなれ 心もなにかありあけの
月のひかりの影おちて 庭のやり水おとすごし
少女は寺をたちいでて まだものぐらき杉むらを
たどりてゆけば遠(をち)かたに きつねの聲もきこゆなり
道のゆくての枯尾花 おとさやさやにうちなびき
ふきくる風の身にしみて さむさもいとゞまさりけり

巖根(いはね)こゞしき山坂を のぼりつおりつゆくほどに
みやまの奥にやなりぬらむ 人かげだにも見えぬなり
梢のあたりきこゆるは いかなる鳥のこゑならむ
木かげをはしるけだものは 熊てふものにやあるならむ
こゝは高嶺かしら雲の 袖のあたりをすぎて行く
わが身をのせてはしるかと 思へばいとゞおそろしや

Kou8

はるばる四方(よも)を見わたせば 山また山のはてもなし
父はいづこにおはすらむ かへりみすれどかひぞなき
をりしもあとより聲たてゝ 山賊(やまだち)あまたよせきたり
にぐる少女をひきとらへ かたくその手をいましめぬ
あなおそろしとさけべども 人なき山のおくなれば
山彦ならで外にまた こたへむものもなかりけり

山のがげぢををれめぐり 谷の下みちゆきかよひ
ともなはれつゝゆくほどに あやしき家にぞいたりける
やれかゝりたる竹の垣 くづれがちなる苔の壁
あたりは木々にとざされて 夕日のかげもてりやらず
内よりしれものいできたり 少女のすがた見つるより
めでたきえものと思ひけむ ほてうち笑ふさまにくし

Kou9_2

かねてまうけやしたりけむ 酒と肴を取りいでて
のみつくらひつするさまは 世にいふ鬼にことならず
(かしら)とおぼしきものひとり 少女のもとにさしよりて
汝のこゝにとらはれて きたるはふかきえにしなり
今よりわれを夫(せ)とたのみ この世のかぎり仕へてや
わが家に久しく秘めおける いとも妙なる小琴(をごと)あり

幾千代かけてちぎりせむ 今日のむしろの喜びに
かなでてわれにきかせてよ 唄ひてわれをなぐさめよ
かりにも辭(いな)まむその時は 劒の山にのぼらせて
針の林をわけさせて からきうきめを見せやらむ
少女はいなとおもへども いなみがたくや思ひけむ
なくなく小琴をひきよせて しらべいでしぞあはれなる

Kou10

風やこずゑをわたるらむ 雁やみそらをゆくならむ
軒端(のきば)を雨やすぎぬらむ 岸にや波のよせくらむ
いとも妙なるしらべには かしこき神もまひやせむ
いともめでたき手ぶりには ひそめる龍もをどるべし
嵯峨野のおくにしらべけむ 想夫戀(さうふれん)にはあらねども
父のゆくへをしのぶなる 心はなにかかはるべき

峯のあらしか松風か たづぬる人の琴の音か
ひとり木陰にたゝずみて きゝ居し人やたれならむ
たづぬる人のつま音と いよゝ心にさとりけむ
しらべの終る折しもあれ 斬りて入りしぞいさましき
刃のひかりにおそれけむ とみのことにやおぢにけむ
斬られて叫ぶものもあり 逐(お)はれてにぐるものもあり

Kou11

斬りて入りにしその人の すがたはそれとわかねども
身に纏(まと)ひしは墨染の ころもの袖と知られたり
わなゝく少女の手をばとり 月のかげさす窓にきて
なおどろきそおどろきそ われは汝の兄なるを
いざこまやかに語りなむ 心をしづめてきゝねかし
父のいかりにふれしより こゝろにおもふことありて

(あづま)の都にのぼらむと 筑紫の海をば舟出しぬ
あらき波路のかぢまくら かさねかさねて須磨明石
淡路の島をこぎめぐり 武庫(むこ)の浦にぞはてにける
こゝより陸路(くがぢ)をたどりしに ころはやよひの末なれば
並木のあたり風ふきて 衣のそでに花ぞちる
都につきしその後は たゞ文机(ふづくえ)によりゐつゝ

Kou12

朝夕ならひし千々(ちぢ)のふみ はじめて人の道知りぬ
父のめぐみを知るごとに 母のなさけを知るたびに
悔しきことのみおほかれば 泣きてその日をおくりけり
こゝろあらため仕へむと ふる里さしてかへりしに
いくさのありしあとなれば そのさびしさぞたゞならぬ
見わたすかぎりは野となりて むかしのかげもあらしふく

尾花が袖もうちやつれ つゆの玉のみちりみだる
こやわが家のあとならむ そや父母の遺骸(から)ならむ
照らす夕日のかげうすく ちまたの柳に鴉なく
たのみすくなきわが身ぞと 思ひわぶればわぶるほど
うき世のことのいとはれて かの山寺にのがれけり
朝夕讀經をするごとに はてなき事のみかこたれて

Kou13

よみゆく文字の數よりも しげきは袖のなみだなり
昨夜そなたのたづねきて かたる言葉をきゝしとき
わがうれしさはそもいかに わがかなしさはまたいかに
たゞにわが名を名のらむと おもひしかどもしかすがに
名のりかねたる身のつらさ 名のるよりなほつらかりき
あかつきふかくわかれしを 道にてこともやありなむと

汝を追ひきて今こゝに 汝をかくはたすけたり
そなたを助けし上からは 心にのこることもなし
この後なにのおもありて 父にふたゝびまみえまし
彼の世にありてまたばやと いひもはてぬに腰がたな
ぬく手も見せず一すぢに 切らむとすなりわが腹を
少女は見るより聲たてゝ かたくその手をおさへつゝ

泣きつさけびつなぐさむる こゝろの底やいかならむ
をりしも空の霜しろく 夜半のあらしの音たえて
雲間きえゆく月かげに かりがね遠くなきわたる


           その三

Kou14

四方(よも)にきこゆる虫の音も あはれよわるときく程に
ありあけ月夜かげきえて 峯のよこ雲わかれゆく
しづかにそこをたちいでて あたりのさまを眺むれば
軒の松風聲かれて あれたる庭に霜白し
手をばとられつとりつして かたみに山路をすぎゆけば
ゆふべの賊のむれならむ あとよりあまた追ひてきつ

山僧それと知りしかば はやくも少女を遁(のが)しやり
おのれはこゝにとゞまりて きりつきられつたゝかひつ
しげる林ををれめぐり 谷のかけ橋うちわたり
少女はからくにげしかど あとに心やのこるらむ
きられて痛手はおはせぬか 兄上さきくましませと
はるかに高嶺をうち眺め しのぶこゝろぞあはれなる

Kou15

道のかたへにしめゆひし 小祠(ほこら)はたれをまつるらむ
涙ながらにぬかづきて いのるもあはれその神に
そこに柴刈る翁(おきな)あり なくなる少女を見てしより
いかにあはれとおもひけむ こなたに近くよりてきぬ
事のよしをばたづねしに まことかなしきことなれば
翁は少女をなぐさめて わが家にともなひかへりけり

深くとざしゝ柴の門 なかばやれにし竹の垣
片山里のしづけさは ひるなほ夜にことならず
木々の木葉のちりみだれ まがきの菊のいろもなく
あらしは時雨をさそひきて 虫のなく音もいとさむし
父のゆくへに兄の身に 朝夕こゝろにかゝれども
ふかきなさけにほだされて しばしはそこにとゞまりぬ

Kou16

ひまゆく駒の足はやく 二とせ三とせは夢のまに
はかなく過ぎてまた更に のどけき春はめぐりきぬ
み山の里のならひにて 髮もすがたもみだせども
色香はいかでかうせやらむ あはれ名におふ菊の花
若菜つみにとうちむれて ちかき野澤にゆく道も
ならの林に一もとの 花のまじるがごとくなり

里の長なるなにがしは はやくもそれときゝつらむ
媒介(なかうど)ひとりたのみきて 長きちぎりをもとめしが
翁はいたくかしこみて こへるまにまにゆるしたり
少女はかくときゝしとき そのおどろきやいかならむ
袖もて顔はおほへども とゞめもかねつその涙
思ひまはせば母上の この世をさらむそのをりに

妾をちかくめしたまひ いひのこされしことぞある
ある年秋の末つかた 御墓(みはか)まうでのかへるさに
つゆけき野路をわけくれば 白菊あまたさきみてり
にほへる花のその中に あはれなく子の聲すなり
かゝるめでたき子だからを いかなる親かすてつらむ
悲しきことにてありけりと ひろひとりしはそなたなり

Kou17

菊さく野べにてあひたるも ふかきちぎりのあるならむ
千代に八千代に榮えよと やがてその名をおはせにき
更に告ぐべき事こそあれ 汝はたえて知らざれど
汝の兄ともたのむべく 夫(せ)といふべき人こそあれ
はやく家出をなしてより 今にゆくへはわかねども
この世にあらばかへり來む 老いたる父もましませば

かへり來らむそのをりは ゆくすゑかけて契りあひ
夫といひ妻とよばれつゝ この世たのしくおくりてよ
母のいまはの言の葉は 今なほ耳にのこりけり
いかでか敎へをそむくべき いかでか敎へにそむかれむ
さはいへこゝに來てしより 翁のめぐみはいとふかし
とやせむかくと人知れず 思ひまどふもあはれなり

かれを思ひて泣きしづみ これを思ひてうちなげき
思ふおもひはちゞなれど 死ぬるひとつにさだめてむ
をりしも媒介入り來り 少女におくりしそのものは
にしきの衣あやの袖 げにもまばゆく見えにけり
少女のこゝろのかなしさを あたりの人は知らざらむ
見つゝ翁のよろこべば 隣の嫗(おうな)も來て祝ふ

Kou18

時雨ふりきて照る月の かげもをぐらきさ夜中に
いづこをさして行くならむ 少女はしのびて家出しぬ
村里とほくはなれきて 川風さむき小笹原
死ぬるいそぎてゆきゆけば 水音すごくむせぶなり
雲井をかへるかりがねも 小笹をわたる風の音も
にぐる少女のこゝろには 追手とのみやきこゆらむ

橋のたもとに身をかくし わが來しかたを眺むれば
遠里(とほざと)小野のともし火の 影よりほかに影もなし
下に流るゝ川水の 底のこゝろは知らねども
あはれかなしきその音は 少女が死をやさそふらむ
死ぬるいのちはをしまねど かくと知らさむそのをりは
さこそなげかめ父上の いかにかこたむわが兄は

父上ゆるさせたまひてよ 兄上うらみなしたまひそ
この世をわれはさきだちて 母のみもとに待ちぬべし
南無阿彌陀佛といひすてゝ とばむとすればうしろより
まちてと呼びて引きとめし 人はいかなる人ならむ
おぼろ月夜のかげくらく さやかにそれとわかねども
春秋かけてしのびてし 兄と少女は知りてけり

Kou19

夢かうつゝかまぼろしか 思ひみだるゝさ夜中に
里のわらべのふきすさぶ 笛の音とほくきこゆなり
とひつとはれつ來しかたを きゝつきかれつゆく末を
ひと夜かたりてあかせども なほ言の葉やのこるらむ
わがふる里のこひしさに 道をいそぎて歸らむと
野こえ山こえゆきゆけば かすみたなびき花もさく

日數(ひかず)もいく日(ひ)ふる雨に ぬれてやつるゝたび衣
家にかへりしそのをりは 五月頃にやありつらむ
山ほとゝぎすなきしきり かどの立花かをるなり
しげる夏草ふみわけて 軒端をちかくたちよれば
むかししのぶの露ちりて 袖にかゝるもあはれなり
妻戸(つまど)おしあけ内みれば あやしく父はましましき

こなたのおどろきいかならむ かなたの嬉しさまたいかに
父上さきくとおとなへば 子らもさきくとこたふなり
事をこまかにきゝてより 父もあはれと思ひけむ
兄のいましめゆるしやり 妹(いも)のみさををほめにけり
親子の三人うちつどひ すぎにし事ども語りあひて
くむ盃のそのうちに うれしき影もうかぶらむ

Kou20
われあやまちて谷におち のぼらむすべもあらざれば
木の實(み)を拾ひ水のみて ながき月日をおくりにき
ある日のあしたおきいでて 峯のあたりを見あぐれば
ながくかゝれる藤かづら 上にましらの啼き叫ぶ
啼くなる聲のなにとなく こゝろありげにきこゆれば
神のたすけと攀ぢのぼり はじめて峯にのぼりえつ

うれしとあたりを見わたせば さきのましらはあともなく
木立のしげき山かげに 蝉のこゑのみきこゆなり
うき世のならひといひながら うき世の常とはいひながら
人になさけのうせはてゝ 獸にのこるぞあはれなる
父のことばをきゝ居たる 二人のこゝろやいかならむ
うれしと兄のたち舞へば たのしと妹もうたふなり

千代に八千代といひいひて ともによろこぶをりしもあれ
うしろの山の松が枝に ゆふ日かゝりて鶴ぞなく

《蛇足》西南の役(明治10年〈1877〉)直後の九州阿蘇を舞台に、ひとりの少女の数奇な運命を描いた叙事詩で、全552行(552句)から成る、わが国ではあまり例のない長詩です。
 なお、上の表示では2句をもって1行とし、読みやすくするために6行ごとに1行空けています。これは機械的な段落分けであり、意味内容によって分けたものではありません。

 明治17年(1884)1月18・19・21日の『郵便報知新聞』に掲載された井上哲次郎の長篇漢詩『孝女白菊詩』に感動した落合直文が、かなり自由に七五調の和文叙事詩に訳出したもの。
 井上哲次郎は、阿蘇あたりで語り継がれていた伝承からこの詩を発想したといわれますが、確かなことはわかりません。
 井上哲次郎
(1856-1944)は、号を巽軒(そんけん)といい、西欧哲学をわが国に紹介した哲学者であるとともに、新体詩運動の先駆者でもありました。

 落合直文の『孝女白菊の歌』は、明治21年(1888)2月から翌22年5月にかけて発行された『東洋学会雑誌』に、3回に分けて掲載されました。
 その後、これに加筆訂正したものが明治37年
(1904)刊の『萩之家遺稿』に収録されました。萩之家は落合直文の号です。
 上の詩は加筆訂正後のヴァージョンです。国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」収録の『萩之家遺稿』によりました。

 『孝女白菊の歌』は、初出以来『少年園』その他の雑誌に転載され、若い人を中心に当時の人びとを感動させました。フィクションであるにもかかわらず、いくつかの伝説や碑を生みました。
 タイトル下の石碑もその1つで、昭和33年
(1958)9月、熊本県阿蘇郡長陽村(現南阿蘇村)に、東海大学の創設者である松前重義によって建てられたもの。

Dshiragiku 『孝女白菊の歌』に感動したのは日本人だけではありません。この詩が発表 されたころ、東京帝国大学でドイツ語やドイツ文学を講義していたカール・フローレンツは、井上巽軒の原詩をドイツ語に翻訳して出版したのです。
 "Weißaster: ein romantisches Epos"というタイトルで、
巽軒の他の漢詩や上田万年の詩、都々逸なども含まれていました(右の写真)

Ekoujo さらに、同じころ慶應義塾大学や東京帝国大学で英語を教えていたイギリス人の宣教師、アーサー・ロイドは、ローレンツの訳書から英語に翻訳し、出版しました(左の写真)
 これらは、それぞれの本国でも評判になったようです。

 上の詩に入れた20枚の絵は、昭和4年(1929)3月に大日本雄辯会講談社から発行された『修養全集・第五巻』にあった岡田なみぢの挿絵をスキャンしたもの。横書き用に原画の左右を入れ替えました。90年ほど前の印刷なので、画質が粗末ですが、筋が追いやすくなるかと思って入れました。

 次のページで現代語訳を入れますが、まだ作業中なので、一部分だけです。でき次第追加します。

 曲は、落合直文の詩の「その一」が発表されるとすぐつけられたようですが、作曲者は不明です。
 楽譜は、原詞の2句分、上の表示では1行分しかありません。これをずっと繰り返して歌ったようです。あまりに単調なので、最後の2つの音符を変えて、3行分を1単位として歌うようにアレンジしました。
 曲調は、当時の書生節や、歌謡曲に進化する前の演歌に似ています。

(二木紘三)


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