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Channel: 二木紘三のうた物語
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行商人/コロブチカ

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(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


ロシア民謡、日本語詞:津川主一

1 かついだ荷物の中は
  キャラコと錦
  肩にめり込みそうだ
  とてもたまらぬ
  肩にめり込みそうだ
  とてもたまらぬ
   ※ハイダ ハイダ ハイダ ハイダー
     ハイダ ハイダ ハイダダ
     ハイダ ハイダ ハイダダ
     おお野道は長い

2 高い金を出したので
  値切りはごめん
  夕日が隠れたなら
  訪ねておくれ
  夕日が隠れたなら
  訪ねておくれ
   (※繰り返す)

3 青い麦の穂波立つ
  夜の野原で
  もうけた金を並べ
  君に捧げる
  もうけた金を並べ
  君に捧げる
   (※繰り返す)

原詩:ニコライ・ネクラーソフ

«Ой, полна, полна коробушка,
Есть и ситцы и парча.
Пожалей, моя зазнобушка,
Молодецкого плеча!

Выди, выди в рожь высокую!
Там до ночки погожу,
А завижу черноокую –
Все товары разложу.

Цены сам платил немалые,
Не торгуйся, не скупись:
Подставляй-ка губы алые,
Ближе к милому садись!»

Вот уж пала ночь туманная,
Ждет удалый молодец.
Чу, идет! — пришла желанная,
Продает товар купец.

Катя бережно торгуется,
Все боится передать.
Парень с девицей целуется,
Просит цену набавлять.

Знает только ночь глубокая,
Как поладили они.
Расступись ты, рожь высокая,
Тайну свято сохрани!

《蛇足》 歌詞は、帝政ロシア時代の詩人、ニコライ・アレクセーヴィチ・ネクラーソフНиколай Алексеевич Некрасов 1821-1878)が、1861年に雑誌『ソヴレメンニク(同時代人) 』に発表した長編詩『コロベイニキКоробeйники、カラビェイニキが元になっています。

 コロベイニキは、革命前のロシアで雑貨や本などを売り歩いた行商人のことです。
 この詩の最初の数聯に何人かがつけたメロディが広く愛唱され、民謡化しました。民謡の常で、メロディ・歌詞ともヴァリアントが
いくつかあります。

 日本には明治中期以降(正確な時期は不明)、『カリンカ』『一週間』『トロイカ』『黒い瞳』などとともに入ってきて、いろいろな日本語詞がつけられました。
 タイトルとしては『行商人』が定着していますが、『コロベイニキ』としている楽譜もあります。
 ただ、コロベイニキは、現地の日常生活ではほとんど使われなくなっため、歌詞の1行目に出てくるkоробушка(カローブシュカ)の変形『コロブチカ』もよく使われます。カローブシュカは、箱という意味です。

 『一週間』でも触れましたが、ロシア民謡は大まかに、比較的遅いテンポで歌曲風に歌われるプロチャージナヤと、ハイテンポで、ダンスがついたり、手拍子で歌われたりするチャストゥーシカに分けられます。

 戦前に歌われた『行商人』は、プロチャージナヤです。もっとも、ロシアが社会主義化してからはあまり歌われませんでした。
 戦後また歌われるようになりましたが、チャストゥーシカに近いフォークダンス用の『コロブチカ」のほうが人気があるようです。
 鮫島有美子などがYouTubeで歌っているのは、プロチャージナヤ系統のメロディですね。

 チャストゥーシカ風の『コロブチカ』が日本に入ってきたのは、おそらく戦後のことです。それも、ソ連から直接ではなく、アメリカ経由で入ってきたと思われます。

 戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の民政局は、さまざまな面で日本の民主化を図りましたが、その一つの手段がリクリエーションでした。自発的・創造的な余暇の過ごし方を通じて青少年の育成を図ろうとしたのです。

 たとえば、昭和24年(1949)リクリエーション指導のために来日したR.L.ダーギン(Russel.L. Durgin)が持ってきた歌集には、フォークダンスや合唱に適した歌がいくつも入っていました(『おおブレネリ』参照)。『コロブチカ』がそのなかに入っていたかどうかはわかりませんが、この前後から少年少女や若者たちの集まりで歌われ、踊られるようになったのは、まずまちがいないでしょう。

 小・中・高校の運動会などで、『オクラホマミキサー』や『マイムマイム』などとともに、『コロブチカ』 を踊った記憶がある人も多いのではないでしょうか。

(二木紘三)


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