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作詞:志賀大介、作曲:鶴岡雅義、唄:マヒナスターズ
1 湖水(みず)に根雪の 白い影 2 わさび色した せせらぎに 3 北アルプスの 嶺はるか 4 王子祭りの 流鏑馬(やぶさめ)に |
《蛇足》 平成19年(2007)10月リリース。
ムード歌謡のヒットメーカー鶴岡雅義と、都会派ムードコーラスのマヒナスターズによる素朴な抒情歌という珍しい作品。ただし、歌い方はいつものマヒナ調です。
水森かおりが歌った演歌『信濃路恋歌』とよく混同されますが、トーンがかなり違います。
『信濃恋歌』と題されているものの、歌詞を見ると、"安曇野恋歌"です。安曇野は私の生まれ故郷であり、いろいろな場所に思い出があるので、取り上げました。
安曇野は松本盆地(松本平)の一部で、梓川の北側から木崎湖の南側あたりまでを指し、高峰が連なる西側の北アルプス(飛騨山脈)から、東側の筑摩山地に向かって、緩やかに傾斜しています。
梓川は、筑摩山地の麓で南から流れてきた奈良井川を合わせて犀川となり、大王わさび農場の北で穂高川と高瀬川を合わせてさらに北流し、川中島の北で千曲川と合流します。
安曇という地名は、福岡の志賀島(しかのしま)を本拠地としていた安曇氏(阿曇氏とも)から来たとされています。安曇氏は海人(あま)族で、記紀によると、神武東征の時代に本拠地を離れ、瀬戸内海を経て陸路で、あるいは日本海回りで、今の安曇野と呼ばれる地域に入ったようです。
穂高神社の例大祭・御船祭は、安曇氏が海人族だった頃の記憶を留めるために始めたイベントだったといわれます。
1番の湖水は、"仁科三湖"と呼ばれる木崎湖、中綱湖、青木湖のいずれか、または全部。仁科は、古代この地を領有した豪族に由来しています。
私は、中学・高校時代、シュトルムの『みずうみ』(高校ではImmen Seeで)の最終章を読む際、いつもいちばん北の青木湖をイメージしていました。当時は、周りに農家が数軒あるだけで、観光開発も行われていず、ほんとうに静かな湖でした。
『みずうみ』最終章の話を少し。
ラインハルトは、幼馴染のエーリッヒ・エリーザベト夫婦の屋敷に滞在していた深夜、湖に白い睡蓮の花を見つけ、泳いで取りに行こうとします。すぐ手が届きそうに思えるのに、泳いでも泳いでも行き着かない。ついに溺れそうになったので、急いで岸に帰ります。
戻ってきたラインハルトに、エーリッヒは「なぜそんな変なことをするんだ。君は睡蓮とどんな関係があるんだ」と訊きます。
ラインハルトは、「昔この花と親しかったことがあるんだ(Ich habe sie früher einmal gekannt.)。もう遠い昔のことだがね(es ist aber schon lange her.)」と答えます。
私は後年、ここを思い出すたび、胸が痛くなったことが何度かありました。いうまでもなく、白い睡蓮の花はエリーザベトの象徴です。
「すぐそこにあるように見えるのに、どうしても行き着かない」「昔親しかったことがある」……切なくなりませんか。
1番の道祖神は、双体道祖神を指していると思います。男女が仲良く寄り添っている像が刻まれているのが特徴で、夫婦和合、子宝・安産に効験があるとされます。
双体道祖神は各地にありますが、安曇野にはとくに多いようです。
4番の王子祭りは、大町市の若一王子神社の例大祭を指しています。約700年前からの祭りで、流鏑馬が名物。鎌倉の鶴岡八幡宮、京都の加茂神社と並ぶ三大流鏑馬の1つで、全国で唯一、子どもが射手を務めるという珍しい行事です。
作詞者の志賀大介が大町市出身なので、これを入れたのでしょうが、私としては、穂高神社の御船祭りを入れてほしかった。穂高は安曇野の真ん中であり、私の母の生地でもあるので。
塩の道は千国街道の別称。糸魚川と松本を結ぶ街道で、昔はこの道を通って沿道の各地に塩や海産物が運ばれました。
(二木紘三)