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1 春のうららの 隅田川 |
《蛇足》明治33年(1900)11月1日付で、東京の共益商社楽器店から刊行された歌曲集『四季』のうちの最初の曲。瀧廉太郎の作品では、『荒城の月』『箱根八里』と並んで最も長く親しまれてきた曲です。
共益商社楽器店は全音楽譜出版社の前身。
武島羽衣の原稿では、『花盛り』というタイトルになっていましたが、同曲集に収録された『月』および『雪』と合わせて「雪月花」のコンポジットにしようということで、『花』に変更されたそうです。
隅田川は荒川の支流で、北区の新岩淵水門で荒川から分かれ、新河岸川(しんかしがわ)、石神井川(しゃくじいがわ)、神田川、日本橋川などを合わせて、東京湾に注ぎます。昔は墨田川、角田川とも書きました。
江戸時代には、吾妻橋あたりから下流は大川(おおかわ)とも呼ばれていました。古典落語や時代劇には、大川とか大川端といった言葉がよく出てきます。
隅田川の桜は、徳川四代将軍家綱が隅田川御殿跡に植えさせたことに始まります。さらに、八代将軍吉宗が治水の観点から土手を踏み固めさせようと、川沿いに桜並木を作らせたことから、桜の名所となりました。
むずかしそうな言葉について、少しばかり見ておきましょう。
1番と3番末尾の「何にたとうべき」は「何にたとえたらよいのだろう」ということ。
2番の「見ずや」の「や」は疑問・反語の係助詞ですが、ここでは反語で、「見ないでいられようか。いや見ずにはいられない」の意。
3番の「げに」は「実に」とか「まことに」の意。
「一刻も千金の」は、北宋の文人・蘇軾(そしょく)(号は蘇東坡〈そとうば〉)の七言絶句『春夜』からとったもので、その最初の行「春宵一刻値千金」を踏まえたフレーズ。
元禄時代に勘定奉行を務めた荻原重秀の句に「夏の夜や(or夜は)蚊を疵(きず)にして五百両」があり、同世代の俳人・宝井其角も「夏の夜蚊を疵にして五百両」と詠んでいます。
どちらがまねをしたのか、はたまた偶然の一致かわかりません。
意味は、「夏の夜も春の宵に劣らず趣があるが、蚊がいるという欠点があるので、春の宵の半値の500両だ」ということで、「春宵一刻値千金」を下敷きにした雑俳です。
昔、国語の試験に出たことがあるような……。
(二木紘三)