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Channel: 二木紘三のうた物語
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泪の乾杯

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(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:東 辰三、唄:竹山逸郎

1 酒は飲めども なぜ酔わぬ
  満たすグラスの その底に
  描く幻 彼(か)の君の
  紅き唇 紅き唇 今いずこ

2 暗き酒場の 窓伝(つと)
  雨の滴(しずく)も 想い出の
  熱き泪(なみだ)か 別れの日
  君が瞳に 君が瞳に 溢(あふ)れたる

3 さらば酒場よ 港街
  空(むな)しき君の 影追いて
  今宵また行く 霧の中
  沖に出船の 沖に出船の 船が待つ

《蛇足》昭和22年(1947)4月、日本ビクター(現・JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売。同じ東辰三の『港が見える丘』のB面でした。
 B面ということもあって、すぐにはヒットしませんでしたが、発売後3か月ほど過ぎたころから巷に流れ始め、永く歌われる作品となりました。

 『港が見える丘』と『泪の乾杯』が世に出るについては、「敵に塩を送る」的な心温まる逸話が伝えられています。
 敗戦によって軍国主義のくびきから脱した国民は、純粋に楽しめる歌を求めていました。これに応えて日本コロムビアやテイチク、キングなどレコード各社は、次々とヒット曲を送り出していました。

 そのなかにあって、レコードを作れなかったのが日本ビクターです。戦後最初の作品として『港が見える丘』『泪の乾杯』が決まったものの、2度の空襲で築地のスタジオや横浜のプレス工場を失ったため、レコードを生産できなかったのです。

 こうした苦境を聞いた日本コロムビア社長の武藤与市は、自社のスタジオとプレス工場を日本ビクターに開放しました。これによって、日本ビクターは戦後第1回のレコードをやっと発売できたのでした。
 弱肉強食が普通のビジネスの世界では、なかなかできることではありません。音楽業界史にしっかり刻んでおきたいエピソードです。

 東辰三は、その後、『君待てども』『白い船のいる港』などのヒット曲を作りましたが、昭和25年(1950)9月27日、満50歳で亡くなってしまいました。作詞・作曲の両面における実績から考えると、さらに多くの傑作を生んだはずと思うと、まことに残念です。
 しかし、音と言葉に関わるその才能は、子息の山上路夫にしっかり受け継がれました。あの世で子息の活躍を知ることができたなら、東辰三も満足しているに違いありません。

(二木紘三)


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