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1 酒は飲めども なぜ酔わぬ |
《蛇足》昭和22年(1947)4月、日本ビクター(現・JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売。同じ東辰三の『港が見える丘』のB面でした。
B面ということもあって、すぐにはヒットしませんでしたが、発売後3か月ほど過ぎたころから巷に流れ始め、永く歌われる作品となりました。
『港が見える丘』と『泪の乾杯』が世に出るについては、「敵に塩を送る」的な心温まる逸話が伝えられています。
敗戦によって軍国主義のくびきから脱した国民は、純粋に楽しめる歌を求めていました。これに応えて日本コロムビアやテイチク、キングなどレコード各社は、次々とヒット曲を送り出していました。
そのなかにあって、レコードを作れなかったのが日本ビクターです。戦後最初の作品として『港が見える丘』『泪の乾杯』が決まったものの、2度の空襲で築地のスタジオや横浜のプレス工場を失ったため、レコードを生産できなかったのです。
こうした苦境を聞いた日本コロムビア社長の武藤与市は、自社のスタジオとプレス工場を日本ビクターに開放しました。これによって、日本ビクターは戦後第1回のレコードをやっと発売できたのでした。
弱肉強食が普通のビジネスの世界では、なかなかできることではありません。音楽業界史にしっかり刻んでおきたいエピソードです。
東辰三は、その後、『君待てども』『白い船のいる港』などのヒット曲を作りましたが、昭和25年(1950)9月27日、満50歳で亡くなってしまいました。作詞・作曲の両面における実績から考えると、さらに多くの傑作を生んだはずと思うと、まことに残念です。
しかし、音と言葉に関わるその才能は、子息の山上路夫にしっかり受け継がれました。あの世で子息の活躍を知ることができたなら、東辰三も満足しているに違いありません。
(二木紘三)