(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
日本語詞:おおたたかし、唄:キングストン・トリオ他
1 野に咲く花は どこへ行く Where Have All the Flowers Gone 1. Where have all the flowers gone? |
《蛇足》アメリカのプロテスト・ソングないしメッセージ・フォークの旗手だったピート・シーガー(Pete Seeger、1919年5月3日~2014年1月27日)が、1955年に発表した反戦歌。
このときは3番まででしたが、最初の録音を聴いて感動したフォーク・シンガーのジョー・ヒッカーソン(Joe Hickerson、1935年10月20日~)が2聯付け加え、5番までとしました。これにより、戦争批判の色彩が一段と濃くなりました。
このころ、インドシナ半島東部、いわゆる仏印を植民地としていたフランスが、ソ連・中国の支援を受けたヴェトミン(ヴェトナム独立同盟)との戦いに敗れて撤退していました(『兵隊が戦争に行くとき』参照)。
ヴェトナムは南北に分断され、北ヴェトナムはヴェトナム民主共和国として独立します。共産主義の浸透を恐れたアメリカは、南ヴェトナムに傀儡政権を作り、北ヴェトナムおよび南ヴェトナム解放民族戦線(通称ヴェトコン)との戦いに介入します。凄惨な戦いが続いた末、1975年4月30日に北側の全面的勝利で終わりました。
『花はどこへ行った』は、フランスとアメリカによる「インドシナ戦争」を隠喩的に批判したものですが、底流しているのは、いつまでたっても戦争をやめられない人類への嘆きといっていいでしょう。
少女たちは花を摘み、結婚し、その夫たちを含めて若い男たちは戦争に行って死に、彼らを葬った墓は草花に覆われてわからなくなり、その花を少女たちが摘み、結婚し、夫たちは戦場へ……と螺旋状に無限に続く人類の営み。
各聯の末尾で繰り返される When will they ever learn?(いつになったら彼らは学ぶのだろうか)は、こうした愚かさをストレートに嘆いたフレーズです。theyはいうまでもなくweです。我々はいったい、いつになったら学ぶのでしょうか。
人類が同類殺しを始めてから何万年経つかわかりませんが、今日まで戦争が絶えた時代のないことを考えると、もしかしたら答えはないかもしれません。諦めてはだめだということはわかっているのですが。
ところで、ピート・シーガーは、フーガのようなこの歌詞のヒントを、ロシアのノーベル賞作家ミハイル・アレクサンドロヴィチ・ショーロホフ(Михаил Александрович Шолохов、1905年5月24日〈当時のユリウス暦では11日〉~1984年2月21日)の作品『静かなドン』から得たようです。
『静かなドン』は、第一次世界大戦とそれに続くロシア革命の大動乱時代に、運命に翻弄されるドン・コサックを描いた大河小説ですが、その初めのほうに次のような箇所があります。
主人公のグリゴーリーが夜遊びから帰ってくると、兄嫁のダーリヤがぐずる赤ん坊を寝かしつけるために、コサックの古い歌を歌います。間に挟まっている文章を除いて歌詞だけを書き出すと、次のようになります。
ねんねんよ、おころりよ
おまえはどこへいきました?
お馬の番に行きました
どんなおうまの番をしに?
金でかざった鞍おいた
お馬の番にゆきました……おまえのお馬はどこへ行(い)た?
ご門の外に立ってます
それじゃあご門はどこへ行た?
水が流してゆきましたそれじゃあがちょうはどこへ行た?
あしのしげみに逃げて行た
それじゃああしはどこへ行た?
むすめが刈ってゆきましたそれじゃあむすめはどこへ行た?
むすめは嫁にゆきました
それじゃあコサックはどこへ行た?
戦さにでかけていきました……
(横田瑞穂訳 河出書房 昭和42年〈1967〉初版)
『花はどこへ行った』が世界に広まるきっかけとなったのは、キングストン・トリオが1961年にリリースしたレコードです。その後、ピーター・ポール&マリー、ブラザース・フォア、マレーネ・ディートリヒ、ジョーン・バエズなど名だたる歌手・グループが次々とカバーして反戦ソングの定番となりました。
日本では、昭和39年(1964)から、デュークエイセス、園まり、中原美紗緒、牧秀夫とロス・フラミンゴス、梓みちよ、ザ・ピーナッツなどがレコードを発売しています。
その後も、倍賞千恵子、加藤登紀子、フォーク・クルセダーズ、ザ・リガニーズなど数多くの歌手・グループがカバーしていますが、そのほとんどがおおたたかしの日本語詞、もしくはその一部を変えた歌詞で歌っています。
(二木紘三)