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Channel: 二木紘三のうた物語
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お富さん

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(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:山崎 正、作曲:渡久地政信、唄:春日八郎

1 粋な黒塀 見越しの松に
  仇な姿の 洗い髪
  死んだ筈だよ お富さん
  生きていたとは お釈迦様でも
  知らぬ仏の お富さん
  エーサオー 玄冶店(げんやだな)

2 過ぎた昔を 恨むじゃないが
  風もしみるよ 傷の跡
  久しぶりだな お富さん
  今じゃよび名も 切られの与三(よさ)
  これで一分じゃ お富さん
  エーサオー すまされめえ

3 かけちゃいけない 他人の花に
  情けかけたが 身のさだめ
  愚痴はよそうぜ お富さん
  せめて今夜は さしつさされつ
  飲んで明かそよ お富さん
  エーサオー 茶わん酒

4 逢えばなつかし 語るも夢さ
  だれが弾くやら 明烏(あけがらす)
  ついて来る気か お富さん
  命短く 渡る浮世は
  雨もつらいぜ お富さん
  エーサオー 地獄雨

《蛇足》昭和29年(1954)8月、キングレコードから発売。

 発売されてから半年あまりは、歌謡曲といえば日本中この歌一色でした。各地の祭礼では若い衆がこのレコードを繰り返しかけ、町場では街頭スピーカーから流れ、ラジオの歌番組では必ずこの歌が歌われました。
 大人はもちろん、歌謡曲は歌ってはいけないといわれた小中学生たちも歌い、やっと言葉を覚えたかと思われる幼児さえも、「ちんだはずだよ、おとみしゃん」などと口ずさむ始末。

 レコードの売り上げ枚数では、この歌を上回る曲はいくつもありますが、"社会現象”とまでいわれた曲は、少なくとも戦後ではこの歌ぐらいでしょう。
 新人だった春日八郎は、この1曲でスターダムにのし上がりました。

 この大成功の一因は、作曲者がブギboogieを基礎としたリズムを取り入れたことでしょう。ブギはシャッフルまたはスイングのリズム形式を反復させるのが特徴です。

  シャッフルまたはスイングは、長めの音符と短めの音符を組み合わせるリズム形式です。この組み合わせを繰り返すと、波のようにうねる感覚、いわゆるスイング感が感じられるようになります。
 シャッフルでは2つの音符の長さは正確に2対1ですが、スイングでは長さについての決まりはなく、曲の種類や演奏のテンポ、プレイヤーの好みによって変わってきます。テンポが早くなるほど、音の長さは等分に近づき、その分スイング感は弱まります。

 たとえば、8分音符と8分音符の組み合わせでは、音の長さは1対1ですから、スイング感はほとんど感じられません。
 8分音符+16分音符の組み合わせだと、音の長さは2対1になり、スイング感は中程度の強さになります。
 付点8分音符+16分音符の組み合わせでは、音の長さは3対1で、スウィング感は相当強くなります。『お富さん』は、曲の大部分がこの組み合わせになっています。これが、うねるような軽快な印象を醸し出しているわけです。

 ブルースやジャズ、ロックンロールでは、スイングのリズム形式がよく使われます。
 日本の歌謡曲では、『東京ブギウギ』『買い物ブギ』『トンコ節』『お座敷小唄』などがこのリズム、それも付点8分音符+16分音符の組み合わせを多用しています。酒席では、この手のスイング感の強い曲が好んで歌われるようです。

 しかし、『お富さん』大ヒットの主因は、歌舞伎の大名題(おおなだい)『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』をテーマにするという新機軸ではないでしょうか。よく知られた演目ですが、粗筋を簡単に記しておきましょう。

 遊蕩に身を持ち崩した江戸の大店の息子・与三郎は、木更津(きさらづ)の親戚に預けられます。そこでお富と知り合い、深い仲になりますが、お富はやくざの親分・赤間源左衛門の妾でした。
 2人の関係を知った源左衛門とその子分たちによって与三郎は滅多斬りにされたうえ簀巻
(すま)きにされます。お富は逃げ出したものの、子分の1人に追い詰められて海に身を投じますが、和泉屋の大番頭・多左衛門に助けられ、その囲い者になります。

 3年後、かろうじて助かった与三郎は、全身の切り傷を売り物にしてゆすり・たかりをするごろつきになっています。その与三郎が、仲間の蝙蝠安(こうもりやす)に連れられてたかりに訪れたのが多左衛門の妾宅で、そこで死んだと思っていたお富と再会するわけです。これが3幕目の「源氏店(げんやだな)妾宅の場」で、『お富さん』はこの場面を謳っています(源氏店については後述)

 その後、何やかやとあって、4幕目では与三郎は捕縛されて島流しに処せられます。島抜けした伊三郎は父親とそれとなく会い、さらに赤間源左衛門とも再会します。大詰めでは旧知の観音久次の自己犠牲によって傷痕が消えて大団円となります。

 おもしろいのは、この話が実話に基づいているということです。与三郎のモデルは木更津の紺屋の次男・中村大吉で、お富のモデルはやくざの親分・山本源太左衛門の妾・きち。情事がばれると、大吉は滅多斬りにされて海に投げ込まれますが、運よく漁師に助けられ、きちは江戸に売りとばされます。

 江戸に出た大吉は、自慢の喉を活かして精進を重ね、やがて長唄の名門・芳村伊三郎の名を継いで4代目となります。
 あるとき、顔から体に至る無数の切り傷のわけを、8代目市川團十郎に尋ねられます。
伊三郎がかくかくしかじかと語った話が講談になり、さらに鶴屋南北門下の3代目瀬川如皐
(せがわ・じょこう)によって舞台化されます。
 その初演は嘉永6年
(1853年)5月で、8代目市川團十郎が与三郎、4代目尾上梅幸がお富を演じました。上の絵は初演時の芝居絵で、3代目歌川豊国の筆になるものです。

 なお、歌詞の1番に出てくる玄冶店は、日本橋界隈を指した江戸時代の通称で、江戸初期にその地区に屋敷を構えていた幕府のお抱え医師・岡本玄冶の名前に由来するといわれています。
 
玄冶店が歌舞伎では源氏店と表記され、場所も鎌倉に変わっているのは、当時江戸を舞台にした芝居はご法度だったからだそうです(下記borironさんのコメント参照)

 この歌が流行った頃、私は小学校6年生。身近に歌謡曲の歌集などはありませんでしたから、歌詞は耳で覚えました。当然意味はわかりません。粋な黒塀は、当時読んだ時代劇漫画に黒兵衛という悪役が出ていたので、「行きな黒兵衛」であり、見越しの松は御神輿に飾った松だろうと思っていました。ゲンヤダナにいたっては、皆目見当がつかず、こじつけもできませんでした。

 わかるのは、「死んだはずだよ、お富さん」くらい。男の子は死んだとか、くたばった、うんこ、しょんべん、チン○○といった言葉が大好きですから、このフレーズと調子のいい曲だけで、意味のつながりなど考えずに喜んで歌っていたのです。
 何の話か多少わかるようになったのは、高校の古典で文学史をかじるようになってからでした。

(二木紘三)


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