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霧のロンドン・ブリッジに 人影も絶えて |
《蛇足》霧のロンドンの神秘的な夜を歌った恋歌で、1956年に発表され、ジョー・スタッフォードの唄でヒットしました。
わが国では、江利チエミ、雪村いずみ、美空ひばり、伊東ゆかり、水前寺清子、弘田三枝子などがカバーしています。
作詞・作曲のシド・テッパーとロイ・C・ベネットは、ともにニューヨークのブルックリン育ち。1945年から1970年までの足かけ25年にわたってコラボを続け、その間300曲以上の作品を世に送り出しました。
2人の曲は、ビートルズ、コニー・フランシス、ダイナ・ショア、フランク・シナトラ、デューク・エリントンなど、数多くの大物たちによって歌われたり、演奏されたりしました。とりわけ、エルヴィス・プレスリーのアルバムや映画の挿入曲用に42曲もの作品を提供したことは有名です。
ロンドン・ブリッジは、よくタワー・ブリッジと混同されます。観光客の半数ぐらいは、タワー・ブッリジをロンドン・ブリッジだと思っていそうな感じです。タワー・ブリッジは、2つの塔の間に跳ね上げ橋があるという特徴的な形から、ロンドンを代表する橋だと思われ、それが勘違いの原因になっているようです。
ロンドン・ブリッジはタワー・ブリッジの上流、すなわち西側約1キロの地点にある橋です。現在の橋は1973年に開通したもので、こういってなんですが、これといった特徴のない橋です。観光客の目がタワー・ブリッジや、ビッグ・ベンが見えるウェストミンスター・ブリッジに向いてしまうのもしかたないことかもしれません。
しかし、ロンドンで最も古いのはロンドン・ブリッジで、ローマ時代からあります。「ロンドン橋落ちた……」の古謡で知られるロンドン橋はこちらです。
なお、上のmp3作成に私が使った楽譜では、頭の2小節に「ロンドン橋落ちた……」のメロディが使われていますが、ジョー・スタッフォードのレコードにはありません。どういういきさつでそうなったかは不明です。
「霧の都ロンドン」という言葉のとおり、ロンドンでは霧がよく発生します。そのなかには、自然の霧もありますが、今日、PM10やPM2.5として知られる粒子状物質によるスモッグが数多くあります。スモッグの発生は、産業革命時から急速に増えてきました。
フリードリッヒ・エンゲルスによれば、紡織産業が盛んだったリヴァプールでは、知識層・ジェントリ地主の平均寿命が35歳だったのに対して、労働者の平均寿命はなんと15歳だったそうです(『イギリスにおける労働階級の状態』)。
原因としては、過重な労働や栄養不足、非衛生な生活などが挙げられますが、スモッグによる呼吸器系や心臓の疾患も大きな要因でした。これらの悪条件が乳幼児の死亡率を極端に高め、それが全体の平均寿命を押し下げていたのです。
人口の多さに比例して石炭暖房から排出される粒子状物質の多かったロンドンでは、状況はさらに悪かったことでしょう。
こうした状況は1950年代まで続き、とくに1952年のロンドンでは、12月5日から10日まで、場所によっては自分の足元も見えないほどの濃密なスモッグに覆われました。その結果、気管支炎、気管支肺炎、心臓病などで約1万2000人が亡くなったそうです。
その後対策が講じられ、状況はかなり改善されました。
いっぽう、かつては「花の都」と讃えられたパリが、現在では上海を上回るとまでいわれる「霧の都」というか「スモッグの都」になっているようです。
せっかくのロマンチックな歌がシビアで現実的な話になってしまいました。
(二木紘三)